映画『ジョーカー』のあらすじ・ネタバレ・解説・感想・評価から作品情報・概要・キャスト・予告編動画も紹介し、物語のラストまで簡単に解説しています。
映画『ジョーカー』IMDbサイト・ Rotten Tomatoesサイトにて作品情報・キャスト情報ならびにレビューをご確認ください。
YouTubeで予告映像もご覧ください。
『ジョーカー』
(2019年製作/122分/R15+/アメリカ)
原題:Joker
配給:ワーナー・ブラザース映画
【監督】
トッド・フィリップス
【製作】
トッド・フィリップス ブラッドリー・クーパー エマ・ティリンジャー・コスコフ【製作総指揮】マイケル・E・ウスラン ウォルター・ハマダ アーロン・L・ギルバート ジョセフ・ガーナー リチャード・バラッタ ブルース・バーマン【脚本】トッド・フィリップス スコット・シルバー【撮影】ローレンス・シャー【美術】マーク・フリードバーグ【衣装】マーク・ブリッジス【編集】ジェフ・グロス【音楽】ヒドゥル・グドナドッティル【音楽監修】ランドール・ポスター ジョージ・ドレイコリアス
【出演】
ホアキン・フェニックス ロバート・デ・ニーロ ザジー・ビーツ フランセス・コンロイ ビル・キャンプ シェー・ウィガム ブレット・カレン グレン・フレシュラー リー・ギル ダグラス・ホッジ ダンテ・ペレイラ=オルソン マーク・マロン ジョシュ・パイス シャロン・ワシントン ブライアン・タイリー・ヘンリー ロッコ・ルナ ソンドラ・ジェームズ ハンナ・グロス エイプリル・グレイス
- 映画『ジョーカー』外部リンク
- 映画『ジョーカー』のオススメ度は?
- 映画『ジョーカー』の作品概要
- 映画『ジョーカー』のあらすじ・ネタバレ
- 映画『ジョーカー』の感想・内容
- 映画『ジョーカー』の考察・評価
- 映画『ジョーカー』の結末
- ホアキン・フェニックスが『ジョーカー』を演じるまでの道のり
- トッド・フィリップス監督の演出について
- まとめ 映画『ジョーカー』一言で言うと!
- 映画『ジョーカー』の感想2(鑑賞3回目)
- トッド・フィリップス監督が描きたかった“共感”と“共感の欠如”
- トッド・フィリップス監督が影響を受けた映画。
- トッド・フィリップス監督が描きたかった“共感”と“共感の欠如”
- もっとあるアメリカン・ニューシネマ
- 【ホアキン・フェニックスの怪演が観られる映画】
- 【格差社会を描いた映画】
- 映画『MOTHER マザー』
- 映画『ミッドナイトスワン』
- 映画『ばるぼら』
- 映画『滑走路』
- 映画『絶唱(1975)』
- 映画『万引き家族』
- 映画『誰も知らない』
- 映画『存在のない子供たち』
- 映画『行き止まりの世界に生まれて』
- 映画『人数の町』
- 映画『天気の子』
- 映画『エリカ38』
- 映画『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』
- 映画『パブリック 図書館の奇跡』
- 映画『凪待ち』
- 映画『ブリング・ミー・ホーム 尋ね人』
- 映画『鵞鳥湖の夜』
- 映画『はちどり』
- 映画『レ・ミゼラブル』
- 映画『パラサイト 半地下の家族』
- 映画『カイジ 人生逆転ゲーム』
- 映画『希望の灯り』
- 映画『タロウのバカ』
- 映画『存在のない子供たち』
- 映画『荒野にて』
- 映画『ドッグマン』
- 映画『マイ・フェア・レディ』
- 映画『ウエスト・サイド物語』
- 映画『愛と青春の旅だち』
- 映画『黒い司法 0%からの奇跡』
- 映画『ファナティック ハリウッドの狂愛者』
- 映画『わたしは金正男を殺してない』
- 映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』
- 映画『朝が来る』
- 映画『スキャンダル』
- 映画『七人の侍』
- 映画『ミリオンダラー・ベイビー』
- 映画『道』
- 映画『楽園』
- 映画『第三夫人と髪飾り』
- 映画『グラン・トリノ』
- 映画『赤い雪 Red Snow』
- 映画『帰れない二人』
映画『ジョーカー』外部リンク
【HPサイト】
映画『ジョーカー』公式サイト
【予告映像】
映画『ジョーカー』トレーラー
映画『ジョーカー』IMDbサイト
映画『ジョーカー』 Rotten Tomatoesサイト
映画『ジョーカー』のオススメ度は?
星5つです。
問題作と言われていますが名作です。
アメリカ社会が疲弊しているのか?
いえ、世界が疲弊しています。
弱きを助け強きを挫くのジョーカー?
違います。
ジョーカーはそんな正義心ありません。
友だち、恋人、家族と観に行ってください。
映画『ジョーカー』の作品概要
バットマンシリーズ最大の悪人として登場するジョーカーを主役にして製作。なぜジョーカーが誕生したのか、彼の出生の秘密、境遇を解き明かす。監督はコメディア映画で定評のあるトッド・フィリップスが担当。主演にホアキン・フェニックス。第76回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。
映画『ジョーカー』のあらすじ・ネタバレ
母親想いで心優しいアーサーはコメディアンになることを夢見ている。ピエロの仕事を斡旋してもらい、街に出て商店の看板広告を掲げ人々の笑いとっている。しかし評判は芳しくない。嘲笑され、いじめられ、時には子どもに襲われる。ある日、ピエロ仲間から銃をもらい受けたことから運命が変わっていく。アーサーは自身の出自、境遇を知り自暴自棄になっていく。
映画『ジョーカー』の感想・内容
快挙!アメコミからヴェネチア国際映画祭金獅子賞獲得
本映画は世界三大映画祭カンヌ・ヴェネチア・ベルリンのヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得しています。
アメリカン・コミック原作からこの映画祭で金獅子賞を獲得したことは驚きを持って世界に伝えられました。
さて、映画を観てあらためてホアキン・フェニックスという俳優の恐ろしさを認識しました。
これほどまでに悲劇と喜劇の物語を狂気の沙汰に昇華させる演技をするとは、、、。ホアキンは本作に命をかけているのではないかと噂されるのも無理はないです。
ちなみに過去ジョーカーを演じた俳優はジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレット・レトといますが、みんな役に入り込むため精神的な異変を生じています。
ヒース・レジャーは『ダークナイト』の撮影後、精神的に不安定となり多量の薬物摂取で亡くなってしまいました。
ホアキン・フェニックスは準備万端で挑んだジョーカー
ですから本映画のホアキンもかなりの役になりきっているのでおかしくならないかと心配されますが、大丈夫かと思います。
最近のホアキン・フェニックスの出演作品を観ると全てのキャラクターにおいて精神的におかしい人ばかりを演じています。
『ドント・ウォーリー』ではアル中の漫画家、『ゴールデン・リバー』では冷血な殺し屋。
ホアキン・フェニックスが精神的にタフな一因には兄のリバー・フェニックスの死亡現場に遭遇して、そのショックを乗り越えたことも挙げられます。
これが煽動映画にならないことを願う
さて、本映画はアメリカでは大問題となっています。
このジョーカーを真似て国中で抗議運動やデモ、あるいは強奪、殺人を誘発するのではないかと懸念されているのです。
ジョーカーを目指す人たちは主に白人。彼らはかつては中流階級で収入も安定して暮らしていました。
しかし今や仕事はヒスパニック、アジア、さらにはイスラム系の移民に取られて安定していません。
主に中西部の人たちです。トランプが「アメリカン・ファースト」と掲げて反応したのが彼らなのです。
ただ彼らは映画の中のジョーカーほど悲惨な生活をしていないことは忘れてはいけません。
ですからこの映画が人を煽るような作品にならないことを願うばかりです。あくまでも映画なのです。
映画『ジョーカー』の考察・評価
安易にムーブメントに乗ってはいけない
でも人というのはこういったムーブメントに乗っかり大きなデモ、そして暴動に安易に参加するものです。
故にアメリカではこの映画が上映される映画館で警察や軍隊が警備に当たっているのです。
でも一本の映画で国を挙げてまで警備しなければいけないのはなぜでしょうか。
実はアメリカは暴動の歴史があります。
記憶に新しいのは1992年のロサンゼルス暴動。さらに遡ると1967年のデトロイト暴動があります。
この2つは実際にあった黒人への差別を起因にした事件です。
当時のことを想起して安易なムーブメントに走る若者がいないことを願っています。
民族、人種、宗教の対立が始まったら収集つかない
ジョーカーは映画ですからこのような事件には発展しないと思われますが、いかんせんアメリカという国は多民族、多人種、多宗教、多言語の人たちが集まっています。
自ずと不平、不満が重なり大きなストレス社会になっているのも事実です。言うなればガラスの土台でみんな暮らしていると言っていいのです。
だからこそ危ないのです。何年か一度ガス抜きをする必要も生じてくるのです。
そうなると映画の中とは違った様相になると思います。
先に挙げた民族、人種、宗教の対立が始まるのです。
おそらくアメリカ政府が一番恐れている自体ではないでしょうか。
ジョーカーが現れた必然性には意味がある
舞台のゴッサムで市の衛生局の職員のストライキが起こり、ゴミが散乱し腐臭を放っています。アーサーと同じ貧困層は暴力的になっています。
四六時中パトカーのサイレンが鳴り響いています。しかしアーサー以上の上流階級の人たちは何ごもなかったかのように過ごています。
呑気にテレビのコメディーショーを見て笑っています。
ここに現実と虚像の世界があります。
まさに「This is America!」ではないでしょうか。
もっと歴史を紐解けばかつてヨーロッパの階級社会から逃れて、大陸の自由と開拓と黄金の夢を求めてやってきた白人たちの姿がゴッサムにあるのです。
先住民を虐殺して富を蓄えた者たちは笑って太り、更なる虚像を求め、富を掴めなかった者たちは夢どころか現実の重石を外すことができません。
アーサーのように貧しくやせ細っています。
こういった状況、貧富の差、格差の差はいずれ市民が暴徒化すると予感させます。そこへ現れたのがジョーカーだったのです。
アーサーとはジョーカーとは何者なのか
さて、ところでジョーカーとは何者でしょうか?『
ダークナイト』では本当に悪の化身で、憎っくき存在として描かれています。
でも本映画を観ているといつの間にかジョーカーに心寄せてしまう自分がいるのです。
まずアーサーは(ジョーカーになる前)は真面目にコメディアンを目指して頑張っていること、人を笑わせるのが好きなこと、母親想いな優しい青年なこと等々。
そして一生懸命働いても笑わられ、バカにされ、イジメられ、殴られ、蹴られボコボコにされます。
本当に可哀想なんです。
しかも持病があります。緊張する場面で“笑ってしまう病気”があるのです。その笑い方が気持ち悪いのです。
さらに追い討ちをかけて奇異な目で見られ差別されてしまうのです。
繰り返しますが、本当のアーサーは心優しい青年です。
清貧は美なんて嘘。貧困は罪です。
こんな境遇に同情せずには要られません。
なぜアーサーが病気になった背景も悲惨です。
幼い頃に母の恋人からのネグレクト、殴る、蹴る、縛るなどの虐待を受けているからです。
愛していた母がそんなことをしていたとは、、、。それを知ったアーサーは激変します。
とにかく生き地獄のような人生を歩んでいるのです。
これを現代アメリカ社会に無理やり当てはめると一気に暴発してしまうでしょう。
仕事を失った貧しい者、過酷な労働環境を耐えている者、社会保障を受けられない者、そして金持ちや政治家が憎しと言う具合に。
アーサーは自身の生い立ちを知り、死の床にいる母を圧殺する瞬間にジョーカーに変わります。身の毛もよだつ場面でした。
貧困とは本当に罪なのです。清貧が美という日本人の考えは通用しません。
映画『ジョーカー』の結末
ジョークで犯罪を犯すという恐怖
ここでもう一度、ジョーカーについて考えてみます。
『バットマン』シリーズのジョーカーについてです。ジョーカーは愉快犯のような者で、目的を持って人を殺すわけではありません。
お金が欲しいから人を殺すのではありません。
人を殺すのに理由を持たないのです。
理由を持たないから恐ろしいのです。
彼に言わせれば全て「ジョーク」なのです。
もはや感情を捨て去ってしまうところに恐怖を抱くのです。
でも、でもです。本映画ではジョーカーの人殺しを見聞きした人々は彼をヒーローに崇めるのです。
感情を捨てて殺人を犯すジョーカーに心酔するのです。
そして間違った憎悪を抱き大きな集団になっていきます。集団になればなるほど憎悪も比例して大きくなっていきます。
この映画では人間の憎悪の矛先は自分より良い暮らしをしている人に向けられることも暗に描いています。
それを見てジョーカーもほくそ笑むのです。実に恐ろしい展開になります。
映画の最後、ジョーカーことアーサーはにこやかに微笑む場面で終わります。その時のセリフが「理解できないさ」です。
アーサーが廊下を歩くと血の足跡がつく。
これがなぜか綺麗に見えるのです。
逆光は天国からの光でしょうか。
その中で軽やかに踊るのです。
最後の最後に救われた気持ちになりました。まるで天国に召されたような演出でした。
ホアキン・フェニックスが『ジョーカー』を演じるまでの道のり
必然的だったと言うか「確信犯」だったのではないでしょうか
ホアキンがジョーカーを演じるのは確信犯だったと思います。
以下を参照にしてください。
1993年 兄リバー・フェニックスの死を目撃する。強いショックを受ける。
1995年『誘う女』 監督ガス・ヴァン・サント
1997年 『Uターン』オリヴァー・ストーン
『秘密の絆』 監督 パット・オコナー
1998年『リターン・トゥ・パラダイス』 監督ジョセフ・ルーベン
『ムーンライト・ドライブ』
1999年『8mm』 監督ジョエル・シュマッカー
2000年『裏切り者』 監督ジェームズ・グレイ
2000年『グラディエーター』 監督リドリー・スコット
2000年『クイルズ』 監督フィリップ・カウフマン
2001年『戦争のはじめかた』 監督グレゴール・ジョーダン
2002年『サイン』 監督M・ナイト・シャマラン
2003年『ブラザー・ベア』 監督アーロン・ブレイズ
2004年 『ヴィレッジ』 監督M・ナイト・シャマラン
2004年 『ホテル・ルワンダ』 監督テリー・ジョージ
2004年 『炎のメモリアル』 監督ジェイ・ラッセル
2005年『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』 監督ジェームズ・マンゴールド
2007年『アンダーカヴァー』 監督ジェームズ・グレイ
2007年『帰らない日々』 監督テリー・ジョージ
2008年
2007年『トゥー・ラバーズ』 監督ジェームズ・グレイ
2010年『容疑者、ホアキン・フェニックス』監督ケイシー・アフレック
2012年『ザ・マスター』 監督ポール・トーマス・アンダーソン
2013年『エヴァの告白』 監督ジェームズ・グレイ
2013年『her/世界でひとつの彼女』 監督スパイク・ジョーンズ
2014年『インヒアレント・ヴァイス』 監督ポール・トーマス・アンダーソン
2015年『教授のおかしな妄想殺人』 監督ウディ・アレン
2017年『ビューティフル・デイ』 監督リン・ラムジー
2018年『ドント・ウォーリー』 監督ガス・ヴァン・サント
2018年『マグダラのマリア』 監督ガース・デイヴィス
2018年『ゴールデン・リバー』 監督ジャック・オーディアール
2019年『ジョーカー』 監督トッド・フィリップス
そうそうたる監督の作品で研鑽を積んだのか
こう見るとフェニックスはそうそうたる監督と仕事をしてる。兄の死後の復帰作でガス・ヴァン・サントも重要な存在だが、2002年『サイン』のM・ナイト・シャマランとの出会いも大きな影響を与えたはずだ。
順調にキャリアを積んでいたかに思えた2008年10月に突如引退宣言し、ラッパーに転身する。奇行の数々と繰り返す。
引退宣言して挑んだ大ドッキリ映画で大バッシング
ドラッグ中毒かと騒がしたが、これはホアキンと監督ケイシー・アフレックが仕組んだ大ドッキリだったのだ。それらの奇行と言動をビデオで撮っておりドキュメンタリー映画として『容疑者、ホアキン・フェニックス』発表したのだが、大バッシングで大コケした。
この作品でホアキン・フェニックスはとにかく人を騙しまくってます。それ自体が演技だったのです。
後のジョーカーのための役作りと考えるのも一景です。
引退宣言して制作したのに全くシャレにならない結果になった。本当の引退危機になった。
ウソ引退から4年後に復活
しかし2012年(実にウソ引退から4年後)ポール・トーマス・アンダーソンの『ザ・マスター』で新興宗教にハマる男を演じてヴェネツィア国際映画祭男優賞受賞して復活。
ここからホアキンが選ぶ役柄の男たちははっきりいってクソ男、ダメ男、あるいは痛い男ばかりになるのだ。
意外なのはウディ・アレン作品に出たことだ(作品はコケた)アレンとは合わない気がしたが、見事な演技を披露している。
再びガス・ヴァン・サント監督と組んだ理由は数年後わかる
そして2017年『ビューティフル・デイ』でカンヌ国際映画祭男優賞受賞する。
もう輝かしいの一言に尽きる。そして2018年の3本へと続く。
この時、ガス・ヴァン・サントと再び組んでいるのが気になるのだ。サントには助けれているから。数年後その答えは出るだろう。
そして2019年『ジョーカー』だ。復活以降で最もクセの強いことは言うまでもないが、クソ男の集大成なのではないかと思えるのだ。
『ジョーカー』はホアキンが仕組んだ最高のジョークなのかも
ウソの引退宣言がジョークで、大ドッキリ映画もジョークで、この『ジョーカー』に出ているのは真実であるがホアキン・フェニックスが作り出した壮大なジョークなのかもしれない。
次作からホアキンが演じるキャラクターは変わると思う。もう“クソ男”は飽きたと言っている気がする。
トッド・フィリップス監督の演出について
一番印象に残ったのは上流階級の人たちが映画を観ている場面です。チャップリンの『モダンタイムズ』です。
みんなネクタイ、タキシードを着て笑い転げています。こっそり劇場に入ったアーサーは笑えません。
この時、トイレに立つ男性の元へ行きます。男性はウエイン、大富豪で政治家。(アーサーの父親かもしれないということで。となるとバットマンとアーサーは異父兄弟になります)
しかしトイレで殴られます。その時にアーサーがいう言葉が実に泣けるのです。
「俺の人生は悲劇だと思っていた。でも喜劇だった」この演出は秀逸です。
チャップリンの言葉をうまく使っています。
正確には「人生をクロースアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇だ」ということです。
例えば転んで泣いている人の顔をアップで見ると悲劇かもしれませんが、遠くから見ると笑えてきます。
アーサーがジョーカーに変わっていく様をうまく表しています。
そしてロバート・デ・ニーロのキャスティングした意味がわかります。
デ・ニーロの代表作『タクシー・ドライバー』のトラビスを思い出してください。
ますはトラビスの精神に異常が生じたかの演出として、部屋の中で拳銃を持って独り言う場面とアーサーが同じく自室でブツブツ呟きながら誤って銃を発砲する場面が似通っています。
次にトラビスは少女を助けたいという正義感の果てに人を殺してヒーローになります。これがアーサーと重なります。
たぶんトッド・フィリップス監督はデ・ニーロが好きであること、そしてトラビスとはちょっと違うというニュアンスも込めていると思います。
また『タクシー・ドライバー』ではトラビスの唯一優しく接するベッツィーがいるのと同様に本映画でもソフィーはアーサーをバカにしません(ただしソフィーと関係は妄想も含まれています)
アーサーが警察に逮捕されてパトカーで護送される時の街はもうパニックです。ピエロの仮面を被った暴徒が暴れています。
車中からそれを見て笑っていた時にパトカーは事故で横転します。
アーサーは死んだと思いきや、暴徒が車から助け出しボンネットの上に寝かせます。
そしてアーサーに向かって皆がはやし立てるとアーサーは立ち上がるのです。
この場面を観て思い描くのはキリストの復活です。トッド・フィリップス監督の考え抜かれた演出には度肝を抜かれました。
言い方のよってはアーサーは神だ、あるいは正義だ、と言っているようなものです。
これはキリスト教を主体とする欧米諸国の人たちには強烈なメッセージになったはずです。
まとめ 映画『ジョーカー』一言で言うと!
歴史の間には必ず救世主が登場する
世界が混沌としている今だからこそ、この映画がわたしたちに問う意味が大きいと思います。問いに答えるには慎重に行動することが大事です。世界の富はわずか数パーセントの人が握っているのは皆が知っています。血液もそうですが、流れが悪くなると必ず破裂します。世界の人々の不平・不満が爆発する際は必ずカリスマ性を持った救世主が現れます。わたしたちは無意識にその救世主の出現を待っているのかもしれません。だからこの映画がヒットしているのです。
以下はその②です。
その③
映画『ジョーカー』の感想2(鑑賞3回目)
こちらは第3回目の感想です。かなりのネタバレがありますので、第1回目からお読みください。
2019年にジョーカーの出現には意味がある
スーパー・ヴィラン。世界一の悪役『ジョーカー』
世界中で今や話題で持ちきりとなっている『ジョーカー』なぜこれほどまで大きな反響を得ているのでしょうか。
世界は英雄の登場を待ちわびているのでしょうか。しかしながらジョーカーは従来の正義のヒーローではありません。
悪のヒーローと断言できませんが、一歩譲って悪のヒーローに入ります。
いま世界中に保護主義がはびこって息をするのも苦しくなっています。
歴史を紐解いても人間の争いの源泉は小さな“憎悪”から始まります。
この小さな憎悪が中東で、ヨーロッパで、中国で爆発しています。
そんな状況の中で誕生した本映画『ジョーカー』は一体何をもたらすでしょうか。
世界にヒーローがいない今、『ジョーカー』が新ヒーローか
アメリカではそういった爆発は起きていないかのように見えますが、あれだけの多民族国家ですから様々なストレスがあることは言うまでもありません。
学校でも、地域でも、街でも絶対に小競り合いはあるはずです。
わたしたちは日本いるからわからないだけです。
さて、このような混沌として世界の中でわたしたちが求めるヒーローとはどんな人なのか考えてみます。
現在、世界を見渡してヒーローと言える人物を挙げることはできますか?
わたしはいません。
トランプ、プーチン、習近平、エルドアン?本来なら彼らは国民から選ばれたヒーローであるはずですが、ロクでもない連中ですよね。
それで、彼らとジョーカーを比べてみると、まだジョーカーの方が良くないですかね?
わたしはそう感じます。だって弱い者イジメしませんもん。まあ、それは個人的な感想ですが。
パンフ・ネットから拾ったジョーカー情報
以下は『ジョーカー』のパンフレット、あるいはネット上の情報を参考にして書いたものです。
トッド・フィリップス監督が『ジョーカー』で描きたかったこと、そして撮るきっかけ、影響を受けた作品を紹介しています。
彼の背景を見ると「なるほど、この時代に発表する意味がある」と納得できます。
トッド・フィリップス監督が描きたかった“共感”と“共感の欠如”
「ジョーカーで描きたかったテーマのひとつは“共感”。それ以上に重要だったのは“共感の欠如”」
ジョーカーになる前のアーサーは本当に悲惨な生活をしていました。
貧しいけれどスタンダップコメディアンを目指し、母を介護しています。
真面目に仕事してます。
でもギャングに襲われたり、給料も未払いにされ報われません。それでも子どもたちに笑顔を見せています。
人にも迷惑をかけていません。
でも嫌われるんですよね。気持ちが悪いと、、、。
見た目が確かに悪いのですが、精神的な“笑ってしまう”病の影響もあります。「アッハッハッッハハッ、ゲホ、ゲホ」と。
確かに気持ち悪いでから、誰からも相手にされません。つまり“共感力ゼロ”です。
普通だったら「誰かに好かれたい」「嫌われないようにしよう」と行動しますが、アーサーはそれ自体がわからないのです。
教養がないのも理由ですが、友人もいないからアドバイスも受けられません。これも悲劇です。
たった一人なのです。一人の人間が共感などと考えられないのです。
でもちょっと矛盾あるのです。母が「人を笑わせる仕事に就きなさい」と言いますが、これを実践するにはやはり、人とのコミュニケーションを図って勉強しなければいけないのです。
でもアーサーがそれをやっている節はありません。と言うことはあくまでも自分の世界として完結しているスタンダップコメディアンと言えるのです。
現実で生きていながら空想世界の自分を追いかかけている、自分の世界だけの狭い考えが共感が得ることのできない原因になります。
見向きもしない花を踏み潰すって矛盾している
トッド・フィリップスは「アーサーは有名な犯罪者ではなくアスファルトに咲いた小さな花だった」と言っています。
わたしたちがアスファルトに咲いた小さな花を見たとします。
「その花にあなたは水をあげるのか、光を当ててあげるのか、それとも無視するのか」さらに「どれくらいの間、その花を好きでいられるか」とフィリップスは難しい問いをしてきます。
わたしは見て通りすぎると思います。
自転車とか自動車に乗っていればまず気がつきません(この違いについて考えると現代社会の本質にたどりつきます)
その花に対して愛おしいと思うことはないと思います。まして水も光もあげませんし、好きになることもないと思います。
こんなわたしは冷酷でしょうか。本音を言えば多くの人が同様ではないでしょうか。
つまりフィリップスは世の中には気がつかないだけで、懸命に生きている存在があるということ、いつの間にか傷つけていないだろうか、と説いています。
アーサーは誰にも認められませんでした。
もし、一人でも気に掛けていればそれだけ人は救われるのだということです。
フィリップスのいう水、光などをあげる時間はありませんが、想像上の時間でわたしたちは水、光を挙げることができます。
考えること、関心を寄せること、無視しないこと、興味を持つこと、つまり“共感”することが大事なのです。
そして、いや、でもです。この映画のテーマは共感の欠如です。以下はその欠如について紐解いていきます。
トッド・フィリップスが『ジョーカー』を思いついた瞬間と場所
トッド・フィリップスが『ジョーカー』を思いついたのはハリウッド大通りに掲げられたDCスーパー・ヴィランの集合映画『スーサイド・スクワッド』(16/監督:デヴィット・エアー)のビルボードを見つめる中でジョーカー単独の映画のアイデアを思いついたと言います。
新しい形の『ジョーカー』をやる決意
それまでコメディ一辺倒であった彼がなぜ撮ることになったのでしょうか。彼のインタビューから読み解いてみます。
まずフィリップスの元にはアメコミの企画は何度もあったそうです。しかしながら「そういう映画は観ないので」と断っていたという。
さらにアメコミ映画は騒々しいイメージがあるため自分が作ることが想像出来なかったとのこと。
そして上記のビルボードを見つめる中で新しい形の『ジョーカー』ならとアイデアに至ったそうです。
コミック映画で人物中心の映画を描く
トッド・フィリップスは「人物描写重視の傑作に影響を受けています。最近、そういう映画が少ないのは観客から求められていないから。だからこそ人物中心の映画に観客を呼び戻すにはと考えたら、コミック映画でやろうと考えた」と答えています。
このことは現在の世界の映画を観ると、ほとんどは共感を得るような人物ばかりです。
アクションヒーロー映画は当然ですが、恋愛映画も喜劇も全て。
人が心を寄せる、つまり共感を持てない人物の映画はヒットに繋がらないとも取れます。
でもフィリップスが観たアメリカン・ニューシネマの登場人物はとても心寄せるようなキャラではありません。
しかも映画のほとんどはバッドエンドで終わります。それでもある程度のヒットはしています。
これを現代でやってもこれだけ“共感”社会では無理であると思ったのでしょう。
でもアメコミ作品、しかも最高のヴィランであるジョーカーを主人公にしたら面白いと考えたそうです。
共感の裏返しの欠如で勝負したのです。
トッド・フィリップス監督が影響を受けた映画。
『モダン・タイムス』(36/監督:チャールズ・チャップリン)
『セルピコ』(73/監督:シドニー・ルメット)
『狼たちの午後』(75/監督:シドニー・ルメット)
『カッコーの巣の上で』(75/監督:ミロス・フェアマン)
『ネットワーク』(76/監督:シドニー・ルメット)
『タクシードライバー』(76/監督:マーティン・スコセッシ)
『キング・オブ・コメディ』(82/監督:マーティン・スコセッシ)
『モダン・タイムス』を別にして、アメリカン・ニューシネマの影響を受けているのが如実にわかります。
主に70年代の映画を指しますが、映画の主人公は大衆に支持されるようなヒーロー像は描かれていません。
ベトナム戦争がアメリカ国民に与えた影響が大きいと思います。『タクシードライバー』のトラビスなどはその代表格です。
人とは違った自身の正義感を持っています。
その他の作品に出てくる人物も反体制思想、社会の落伍者、貧しいもの、ヒッピーなどで映画の結末は俗にいうバッドエンドが多いのです。
トッド・フィリップスは1970年ニューヨーク生まれだから、上記作品はリアルタイムには観ていないと思います。
でもアメリカはリバイバルが盛んだし、テレビ放映で観たと思われます。もしくはビデオです。
早くから映画少年であったのは言うまでもないが、このアメリカン・ニューシネマの終焉と同時にコッポラ、スピルバーグが登場して新しいムーブメントを巻き起こしますが、フィリップスはそちらへは流れなかったのが救いです。
彼らの作る映画は正直、子ども騙しの映画ですから。
「ジョーカーの物語ではなくジョーカーになっていく物語」
アーサーからジョーカーへの変身はここで変わったという場面はないとフィリップスは断言しています。
確かに地下鉄で三人を殺害する場面ではまだ、ジョーカーではありません。
わたしは母を絞殺する場面はジョーカーになった場面と思っていましたが違うようです。
あの場面は本当にツラかったです。観ていて涙腺が緩んでしまいまいました。心を捨てたアーサーに「戻れ」と叫んでしまったほどです。
でもまだジョーカーになっていないとのこと。
同僚のランドルを殺害する場面はどうでしょう。マレーを殺害する場面は?もう一度劇場へ足を運んで確認してみるのも良いでしょう。
スーパー・ヴィランの男をリアルで愛すべき人間
「ジョーカーという人間はこうして現れるのかもしれない。物語の中でスーパー・ヴィランの男をリアルで愛すべき人間として描いた。だからみんなは彼の味方でいてくれればいい。ただこれ以上は無理というところまで」
この言葉はとても説得力のあるものですが、とても恐ろしいことを招くかもしれません。
ジョーカーのような怪物は本当に現るかもしれません。いやもう随分と現れているかもしれません。
日本でも世界でもある種の凶悪事件を起こしたサイコパスに憧れる人が少なからずいます。
無差別殺人を犯した人物に惹かれる人もいます。
でもそれはジョーカーと血が違います。
ジョーカーは弱い者いじめをしません。
途中までは「こんな面白い奴いないなあ」と言って応援することができます。
でももし彼が間違った方向へ向かうなら手を差し伸べたいです。ジョーカーにはそういう人がいなかったのです。
以下、もう一度繰り返します
トッド・フィリップス監督が描きたかった“共感”と“共感の欠如”
「ジョーカーで描きたかったテーマのひとつは“共感”。それ以上に重要だったのは“共感の欠如”」
「彼は有名な犯罪者ではなく、アスファルトに咲いた小さな花。その花にあなたは水をあげのか、光を当ててあげるのか、それとも無視するのか。どれくらいの間、その花を好きでいられるか」
これが映画のメッセージです。
以下は追記情報です。
脚本はホアキン・フェニックスのために書いた
フィリップスvsホアキンで最高傑作
脚本はホアキン・フェニックスのために書いた。ホアキン・フェニックスの世界にコミックの世界を作ろうと思った。彼は勇敢で優秀なのはわかっている。過去においてジョーカーを演じた全ての俳優も同じく天性の俳優であること。ホアキン・フェニックスは役柄に肉体と魂の全てを捧げてくれる俳優。
ロバート・デ・ニーロのキャスティング
ロバート・デ・ニーロは映画を作っている全ての人間の憧れであるから出演を快諾してくれたのはとても嬉しかった。ロバートとホアキンが対峙したらこれほどエキサイティングな映画はないと思った。ロバートの演技はとても繊細で素晴らしい。役柄生き生き生きと演じてくれた。
コメディ映画で培ったこと
コメディ映画が出発点。『ハングオーバー!』は倫理観にかけると批判されるけど、「そこが面白いんだけど」コメディを作ってきたのは破壊的で不謹慎だから。でも今はコメディを作って人を怒らせないことが非常に難しい時代になっている。世界はあらゆることで敏感になっている。笑わせようとすれば誰かが怒る。もはや笑えることが笑えなくなっている。だから違う方法でやろうと思って本作を撮った。不謹慎なことをする方法、そこで真実を伝える方法はいくらでもある。だからコミックスの中でジャンルをひっくり返すことができる。
今、『ジョーカー』が上映される意味は?
一般にジャンルに問わず多くのアーチストは世界の姿を作品に映し出そうとするものです。
『ジョーカー』は政治的であることを意識した作品ではありません。でも挑発的であることは事実です。
ですからこの映画がただの“ジョーカーの物語”と思われても構いません。
むしろ政治的なメッセージを帯びた映画にはしたくない。
ただし『ダークナイト』(08/監督:クリストファー・ノーラン)はそんなメッセージを伝える映画ではありませんが、確かに9・11後の世界を描いた作品だった。この映画も間違いなく同じ種類でしょう。
米国の問題、ある種の扇動映画にならないかと懸念されていることについて
それは表面的なことで大切なのはその奥底で何が起きているかということ。
米国でヘルスケアや格差問題は確かにありますが、観客は世界中にいるのでそれだを訴えたくて作りません。
確かなのは「革命を起こせ」と言いたいのではない。だから人々には革命を起こす理由を考えてほしい。
世界中で思いやりが欠如していることを考えてほしい。
続編は?
ホアキン・フェニックスとならやれると思う。ワーナーが作ってくれと言ったら作る。
もちろん僕とホアキンじゃない人が作っても構わない。
コミックスはある意味シェイクスピアだと思う。
『ハムレット』『マクベス』に色んな作品があるようにジョーカーも多くの作品が作られてきた。
だからまるで違う作品になってもいいと思う。
もっとあるアメリカン・ニューシネマ
ある種アウトローを求めた時代
『イージー・ライダー』(69/監督:デニス・ホッパー)
『明日に向って撃て!』(69/監督:ジョージ・ロイ・ヒル)
『真夜中のカーボーイ』(69/監督:ジョン・シュレシンジャー)
『フレンチ・コネクション』(71/監督:ウィリアム・フリードキン)
『ダーティハリー』(71/監督:ドン・シーゲル)
『時計じかけのオレンジ』(71/監督:スタンリー・キューブリック)
『スケアクロウ』(73/監督:ジェリー・シャッツバーグ)
その他、ジョーカー関連の映画
ジョーカー アンソロジー(1940)
バットマン オリジナル・ムービー(1966年製作の映画)
『バットマン』(89/監督:ティム・バートン)
『バットマン リターンズ』(92/監督:ティム・バートン)
『ダークナイト』(08/監督:クリストファー・ノーラン)
『ダークナイト ライジング』(12/監督:クリストファー・ノーラン)
『スーサイド・スクワッド』(16/監督:デヴィット・エアー)
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合わせて観たい映画
【ホアキン・フェニックスの怪演が観られる映画】
映画『ゴールデン・リバー』
問答無用の冷血な殺人鬼
映画『ドント・ウォーリー』
アルコール依存症で下半身麻痺の漫画家
【格差社会を描いた映画】
映画『MOTHER マザー』
毒親が生まれたのは格差社会が原因?
映画『ミッドナイトスワン』
LGBTQに対する差別・格差は早急に解決して欲しい
映画『ばるぼら』
ばるぼらは社会の“排泄物”のように扱われた
映画『滑走路』
イジメから非正規社員問題まで絡めた名作
映画『絶唱(1975)』
封建制度の時代の格差ってどうしようなかった、、、
映画『万引き家族』
是枝監督の描く映画は「痛い」
映画『誰も知らない』
是枝監督が世界の映画作家に与えた影響は多大なり!
映画『存在のない子供たち』
戸籍も存在もない社会って“格差”どころじゃあない
映画『行き止まりの世界に生まれて』
格差と虐待は比例するのか
映画『人数の町』
格差もまったく存在しない町へ行こう!
映画『天気の子』
このふたりも日本社会からはみ出していると言える
映画『エリカ38』
エリカが詐欺師になったのは貧しい生い立ちから
映画『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』
黒人というだけで“チャンス”が与えられない社会がある
映画『パブリック 図書館の奇跡』
「笑うな!」ホームレスにだって人権があります!
映画『凪待ち』
社会の底辺で生きてきた男、、、
映画『ブリング・ミー・ホーム 尋ね人』
無教養が格差を広げている
映画『鵞鳥湖の夜』
発展すればするほど格差が広がります
映画『はちどり』
韓国社会の現実は恐ろしい
映画『レ・ミゼラブル』
この少年たちの“怨恨”は根深い
映画『パラサイト 半地下の家族』
アカデミー作品賞獲得という快挙!
映画『カイジ 人生逆転ゲーム』
日本の底辺男の希望映画です
映画『希望の灯り』
かつての東西冷戦の格差って?
映画『タロウのバカ』
タロウが悲しすぎる
映画『存在のない子供たち』
生まれたという存在がないとは、、、
映画『荒野にて』
無学な父親を亡くしてしまい、、、
映画『ドッグマン』
不条理すぎる映画です
映画『マイ・フェア・レディ』
イギリスの階級社会で這い上がるのは難しい、、、
映画『ウエスト・サイド物語』
人種が絡んだ格差社会って辛い
映画『愛と青春の旅だち』
パイロット目指す若者と工場で働く女の子の恋愛
映画『黒い司法 0%からの奇跡』
いつも黒人が“容疑者”にされてしまう理由はなに?
映画『ファナティック ハリウッドの狂愛者』
差別・嫌悪される理由は本人にも問題ありでは、、、
映画『わたしは金正男を殺してない』
貧しい国から来た女性を使っての犯罪です
映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』
少年たちはアメリカ社会の未来を憂いての犯行だったのか
映画『朝が来る』
格差社会もあるけれど教育が大事だと思う、、、
映画『スキャンダル』
男どもに「一泡吹かせてやる!」ダンサーたちの挑戦!
映画『七人の侍』
黒澤明が描く“格差社会”はダイナミックだ
映画『ミリオンダラー・ベイビー』
ど貧乏育ちだけど「成功したい」気持ちに嘘はない
映画『道』
人生は厳しい“道”ばかりだけど「間違い」はしたくない
映画『楽園』
田舎の“ムラ社会”の中の“格差社会”って陰険だ
映画『第三夫人と髪飾り』
格差というより“習慣”とか“伝統”と言った理由で、、、
映画『グラン・トリノ』
人種差別者が“格差社会”に初めて気がついたら!
映画『赤い雪 Red Snow』
貧しいことは悲劇です
映画『帰れない二人』
中国の発展がもたらす“格差社会”は速度が早い
映画『ジョーカー』の作品情報
スタッフ・キャスト
監督
トッド・フィリップス
製作
トッド・フィリップス ブラッドリー・クーパー エマ・ティリンジャー・コスコフ
製作総指揮
マイケル・E・ウスラン ウォルター・ハマダ アーロン・L・ギルバート ジョセフ・ガーナー リチャード・バラッタ ブルース・バーマン
脚本
トッド・フィリップス スコット・シルバー
撮影
ローレンス・シャー
美術
マーク・フリードバーグ
衣装
マーク・ブリッジス
編集
ジェフ・グロス
音楽
ヒドゥル・グドナドッティル
音楽監修
ランドール・ポスター ジョージ・ドレイコリアスアーサー・フレック/ジョーカー(ホアキン・フェニックス)
マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)
ソフィー・デュモンド(ザジー・ビーツ)
ペニー・フレック(フランセス・コンロイ)
ギャリティ刑事(ビル・キャンプ)
バーク刑事(シェー・ウィガム)
トーマス・ウェイン(ブレット・カレン)
ランドル(グレン・フレシュラー)
ゲイリー(リー・ギル)
アルフレッド・ペニーワース(ダグラス・ホッジ)
ブルース・ウェイン(ダンテ・ペレイラ=オルソン)
ジーン(マーク・マロン)
ホイト(ジョシュ・パイス)
社会福祉士(シャロン・ワシントン)
カール(ブライアン・タイリー・ヘンリー)
ジジ・デュモンド(ロッコ・ルナ)
サリー博士(ソンドラ・ジェームズ)
若き日のペニー(ハンナ・グロス)
精神科医(エイプリル・グレイス)2019年製作/122分/R15+/アメリカ
原題:Joker
配給:ワーナー・ブラザース映画