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『ジョーカー』(122分/アメリカ/2019)
原題『Joker』
【監督】
トッド・フィリップス
【製作】
トッド・フィリップス
ブラッドリー・クーパー
エマ・ティリンガー・コスコフ
【出演】
ホアキン・フェニックス
ロバート・デ・ニーロ
ザジー・ビーツ
フランセス・コンロイ
- 映画『ジョーカー』のオススメ度は?
- 映画『ジョーカー』の作品概要
- 映画『ジョーカー』のあらすじ・ネタバレ
- 映画『ジョーカー』の感想・評価・内容・結末
- 2019年にジョーカーの出現には意味がある
- 世界にヒーローがいない今、『ジョーカー』が新ヒーローか
- パンフ・ネットから拾ったジョーカー情報
- トッド・フィリップス監督が描きたかった“共感”と“共感の欠如”
- 見向きもしない花を踏み潰すって矛盾している
- トッド・フィリップスが『ジョーカー』を思いついた瞬間と場所
- 新しい形の『ジョーカー』をやる決意
- コミック映画で人物中心の映画を描く
- トッド・フィリップス監督が影響を受けた映画。
- 「ジョーカーの物語ではなくジョーカーになっていく物語」
- スーパー・ヴィランの男をリアルで愛すべき人間
- トッド・フィリップス監督が描きたかった“共感”と“共感の欠如”
- 脚本はホアキン・フェニックスのために書いた
- コメディ映画で培ったこと
- 今、『ジョーカー』が上映される意味は?
- 米国の問題、ある種の扇動映画にならないかと懸念されていることについて
- 続編は?
- もっとあるアメリカン・ニューシネマ
- まとめ 映画『ジョーカー』一言で言うと!
- 合わせて観たい映画
- 映画『ジョーカー』の作品情報
映画『ジョーカー』のオススメ度は?
星5つです。
問題作と言われていますが名作です。
アメリカ社会が疲弊しているのか?
いえ、世界が疲弊しています。
弱きを助け強きを挫くのジョーカー?
違います。
ジョーカーはそんな正義心ありません。
友だち、恋人、家族と観に行ってください。
映画『ジョーカー』の作品概要
バットマンシリーズ最大の悪人として登場するジョーカーを主役にして製作。なぜジョーカーが誕生したのか、彼の出生の秘密、境遇を解き明かす。監督はコメディア映画で定評のあるトッド・フィリップスが担当。主演にホアキン・フェニックス。第76回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。
映画『ジョーカー』のあらすじ・ネタバレ
母親想いで心優しいアーサーはコメディアンになることを夢見ている。ピエロの仕事を斡旋してもらい、街に出て商店の看板広告を掲げ人々の笑いとっている。しかし評判は芳しくない。嘲笑され、いじめられ、時には子どもに襲われる。ある日、ピエロ仲間から銃をもらい受けたことから運命が変わっていく。アーサーは自身の出自、境遇を知り自暴自棄になっていく。
映画『ジョーカー』の感想・評価・内容・結末
こちらは第3回目の感想です。かなりのネタバレがありますので、第1回目からお読みください。
以下、その①

その②

2019年にジョーカーの出現には意味がある
スーパー・ヴィラン。世界一の悪役『ジョーカー』
世界中で今や話題で持ちきりとなっている『ジョーカー』なぜこれほどまで大きな反響を得ているのでしょうか。
世界は英雄の登場を待ちわびているのでしょうか。しかしながらジョーカーは従来の正義のヒーローではありません。
悪のヒーローと断言できませんが、一歩譲って悪のヒーローに入ります。
いま世界中に保護主義がはびこって息をするのも苦しくなっています。
歴史を紐解いても人間の争いの源泉は小さな“憎悪”から始まります。
この小さな憎悪が中東で、ヨーロッパで、中国で爆発しています。
そんな状況の中で誕生した本映画『ジョーカー』は一体何をもたらすでしょうか。
世界にヒーローがいない今、『ジョーカー』が新ヒーローか
アメリカではそういった爆発は起きていないかのように見えますが、あれだけの多民族国家ですから様々なストレスがあることは言うまでもありません。
学校でも、地域でも、街でも絶対に小競り合いはあるはずです。
わたしたちは日本いるからわからないだけです。
さて、このような混沌として世界の中でわたしたちが求めるヒーローとはどんな人なのか考えてみます。
現在、世界を見渡してヒーローと言える人物を挙げることはできますか?
わたしはいません。
トランプ、プーチン、習近平、エルドアン?本来なら彼らは国民から選ばれたヒーローであるはずですが、ロクでもない連中ですよね。
それで、彼らとジョーカーを比べてみると、まだジョーカーの方が良くないですかね?
わたしはそう感じます。だって弱い者イジメしませんもん。まあ、それは個人的な感想ですが。
パンフ・ネットから拾ったジョーカー情報
以下は『ジョーカー』のパンフレット、あるいはネット上の情報を参考にして書いたものです。
トッド・フィリップス監督が『ジョーカー』で描きたかったこと、そして撮るきっかけ、影響を受けた作品を紹介しています。
彼の背景を見ると「なるほど、この時代に発表する意味がある」と納得できます。
トッド・フィリップス監督が描きたかった“共感”と“共感の欠如”
「ジョーカーで描きたかったテーマのひとつは“共感”。それ以上に重要だったのは“共感の欠如”」
ジョーカーになる前のアーサーは本当に悲惨な生活をしていました。
貧しいけれどスタンダップコメディアンを目指し、母を介護しています。
真面目に仕事してます。
でもギャングに襲われたり、給料も未払いにされ報われません。それでも子どもたちに笑顔を見せています。
人にも迷惑をかけていません。
でも嫌われるんですよね。気持ちが悪いと、、、。
見た目が確かに悪いのですが、精神的な“笑ってしまう”病の影響もあります。「アッハッハッッハハッ、ゲホ、ゲホ」と。
確かに気持ち悪いでから、誰からも相手にされません。つまり“共感力ゼロ”です。
普通だったら「誰かに好かれたい」「嫌われないようにしよう」と行動しますが、アーサーはそれ自体がわからないのです。
教養がないのも理由ですが、友人もいないからアドバイスも受けられません。これも悲劇です。
たった一人なのです。一人の人間が共感などと考えられないのです。
でもちょっと矛盾あるのです。母が「人を笑わせる仕事に就きなさい」と言いますが、これを実践するにはやはり、人とのコミュニケーションを図って勉強しなければいけないのです。
でもアーサーがそれをやっている節はありません。と言うことはあくまでも自分の世界として完結しているスタンダップコメディアンと言えるのです。
現実で生きていながら空想世界の自分を追いかかけている、自分の世界だけの狭い考えが共感が得ることのできない原因になります。
見向きもしない花を踏み潰すって矛盾している
トッド・フィリップスは「アーサーは有名な犯罪者ではなくアスファルトに咲いた小さな花だった」と言っています。
わたしたちがアスファルトに咲いた小さな花を見たとします。
「その花にあなたは水をあげるのか、光を当ててあげるのか、それとも無視するのか」さらに「どれくらいの間、その花を好きでいられるか」とフィリップスは難しい問いをしてきます。
わたしは見て通りすぎると思います。
自転車とか自動車に乗っていればまず気がつきません(この違いについて考えると現代社会の本質にたどりつきます)
その花に対して愛おしいと思うことはないと思います。まして水も光もあげませんし、好きになることもないと思います。
こんなわたしは冷酷でしょうか。本音を言えば多くの人が同様ではないでしょうか。
つまりフィリップスは世の中には気がつかないだけで、懸命に生きている存在があるということ、いつの間にか傷つけていないだろうか、と説いています。
アーサーは誰にも認められませんでした。
もし、一人でも気に掛けていればそれだけ人は救われるのだということです。
フィリップスのいう水、光などをあげる時間はありませんが、想像上の時間でわたしたちは水、光を挙げることができます。
考えること、関心を寄せること、無視しないこと、興味を持つこと、つまり“共感”することが大事なのです。
そして、いや、でもです。この映画のテーマは共感の欠如です。以下はその欠如について紐解いていきます。
トッド・フィリップスが『ジョーカー』を思いついた瞬間と場所
トッド・フィリップスが『ジョーカー』を思いついたのはハリウッド大通りに掲げられたDCスーパー・ヴィランの集合映画『スーサイド・スクワッド』(16/監督:デヴィット・エアー)のビルボードを見つめる中でジョーカー単独の映画のアイデアを思いついたと言います。
新しい形の『ジョーカー』をやる決意
それまでコメディ一辺倒であった彼がなぜ撮ることになったのでしょうか。彼のインタビューから読み解いてみます。
まずフィリップスの元にはアメコミの企画は何度もあったそうです。しかしながら「そういう映画は観ないので」と断っていたという。
さらにアメコミ映画は騒々しいイメージがあるため自分が作ることが想像出来なかったとのこと。
そして上記のビルボードを見つめる中で新しい形の『ジョーカー』ならとアイデアに至ったそうです。
コミック映画で人物中心の映画を描く
トッド・フィリップスは「人物描写重視の傑作に影響を受けています。最近、そういう映画が少ないのは観客から求められていないから。だからこそ人物中心の映画に観客を呼び戻すにはと考えたら、コミック映画でやろうと考えた」と答えています。
このことは現在の世界の映画を観ると、ほとんどは共感を得るような人物ばかりです。
アクションヒーロー映画は当然ですが、恋愛映画も喜劇も全て。
人が心を寄せる、つまり共感を持てない人物の映画はヒットに繋がらないとも取れます。
でもフィリップスが観たアメリカン・ニューシネマの登場人物はとても心寄せるようなキャラではありません。
しかも映画のほとんどはバッドエンドで終わります。それでもある程度のヒットはしています。
これを現代でやってもこれだけ“共感”社会では無理であると思ったのでしょう。
でもアメコミ作品、しかも最高のヴィランであるジョーカーを主人公にしたら面白いと考えたそうです。
共感の裏返しの欠如で勝負したのです。
トッド・フィリップス監督が影響を受けた映画。
『モダン・タイムス』(36/監督:チャールズ・チャップリン)
『セルピコ』(73/監督:シドニー・ルメット)
『狼たちの午後』(75/監督:シドニー・ルメット)
『カッコーの巣の上で』(75/監督:ミロス・フェアマン)
『ネットワーク』(76/監督:シドニー・ルメット)
『タクシードライバー』(76/監督:マーティン・スコセッシ)
『キング・オブ・コメディ』(82/監督:マーティン・スコセッシ)
『モダン・タイムス』を別にして、アメリカン・ニューシネマの影響を受けているのが如実にわかります。
主に70年代の映画を指しますが、映画の主人公は大衆に支持されるようなヒーロー像は描かれていません。
ベトナム戦争がアメリカ国民に与えた影響が大きいと思います。『タクシードライバー』のトラビスなどはその代表格です。
人とは違った自身の正義感を持っています。
その他の作品に出てくる人物も反体制思想、社会の落伍者、貧しいもの、ヒッピーなどで映画の結末は俗にいうバッドエンドが多いのです。
トッド・フィリップスは1970年ニューヨーク生まれだから、上記作品はリアルタイムには観ていないと思います。
でもアメリカはリバイバルが盛んだし、テレビ放映で観たと思われます。もしくはビデオです。
早くから映画少年であったのは言うまでもないが、このアメリカン・ニューシネマの終焉と同時にコッポラ、スピルバーグが登場して新しいムーブメントを巻き起こしますが、フィリップスはそちらへは流れなかったのが救いです。
彼らの作る映画は正直、子ども騙しの映画ですから。
「ジョーカーの物語ではなくジョーカーになっていく物語」
アーサーからジョーカーへの変身はここで変わったという場面はないとフィリップスは断言しています。
確かに地下鉄で三人を殺害する場面ではまだ、ジョーカーではありません。
わたしは母を絞殺する場面はジョーカーになった場面と思っていましたが違うようです。
あの場面は本当にツラかったです。観ていて涙腺が緩んでしまいまいました。心を捨てたアーサーに「戻れ」と叫んでしまったほどです。
でもまだジョーカーになっていないとのこと。
同僚のランドルを殺害する場面はどうでしょう。マレーを殺害する場面は?もう一度劇場へ足を運んで確認してみるのも良いでしょう。
スーパー・ヴィランの男をリアルで愛すべき人間
「ジョーカーという人間はこうして現れるのかもしれない。物語の中でスーパー・ヴィランの男をリアルで愛すべき人間として描いた。だからみんなは彼の味方でいてくれればいい。ただこれ以上は無理というところまで」
この言葉はとても説得力のあるものですが、とても恐ろしいことを招くかもしれません。
ジョーカーのような怪物は本当に現るかもしれません。いやもう随分と現れているかもしれません。
日本でも世界でもある種の凶悪事件を起こしたサイコパスに憧れる人が少なからずいます。
無差別殺人を犯した人物に惹かれる人もいます。
でもそれはジョーカーと血が違います。
ジョーカーは弱い者いじめをしません。
途中までは「こんな面白い奴いないなあ」と言って応援することができます。
でももし彼が間違った方向へ向かうなら手を差し伸べたいです。ジョーカーにはそういう人がいなかったのです。
以下、もう一度繰り返します
トッド・フィリップス監督が描きたかった“共感”と“共感の欠如”
「ジョーカーで描きたかったテーマのひとつは“共感”。それ以上に重要だったのは“共感の欠如”」
「彼は有名な犯罪者ではなく、アスファルトに咲いた小さな花。その花にあなたは水をあげのか、光を当ててあげるのか、それとも無視するのか。どれくらいの間、その花を好きでいられるか」
これが映画のメッセージです。
以下は追記情報です。
脚本はホアキン・フェニックスのために書いた
フィリップスvsホアキンで最高傑作
脚本はホアキン・フェニックスのために書いた。ホアキン・フェニックスの世界にコミックの世界を作ろうと思った。彼は勇敢で優秀なのはわかっている。過去においてジョーカーを演じた全ての俳優も同じく天性の俳優であること。ホアキン・フェニックスは役柄に肉体と魂の全てを捧げてくれる俳優。
ロバート・デ・ニーロのキャスティング
ロバート・デ・ニーロは映画を作っている全ての人間の憧れであるから出演を快諾してくれたのはとても嬉しかった。ロバートとホアキンが対峙したらこれほどエキサイティングな映画はないと思った。ロバートの演技はとても繊細で素晴らしい。役柄生き生き生きと演じてくれた。
コメディ映画で培ったこと
コメディ映画が出発点。『ハングオーバー!』は倫理観にかけると批判されるけど、「そこが面白いんだけど」コメディを作ってきたのは破壊的で不謹慎だから。でも今はコメディを作って人を怒らせないことが非常に難しい時代になっている。世界はあらゆることで敏感になっている。笑わせようとすれば誰かが怒る。もはや笑えることが笑えなくなっている。だから違う方法でやろうと思って本作を撮った。不謹慎なことをする方法、そこで真実を伝える方法はいくらでもある。だからコミックスの中でジャンルをひっくり返すことができる。
今、『ジョーカー』が上映される意味は?
一般にジャンルに問わず多くのアーチストは世界の姿を作品に映し出そうとするものです。
『ジョーカー』は政治的であることを意識した作品ではありません。でも挑発的であることは事実です。
ですからこの映画がただの“ジョーカーの物語”と思われても構いません。
むしろ政治的なメッセージを帯びた映画にはしたくない。
ただし『ダークナイト』(08/監督:クリストファー・ノーラン)はそんなメッセージを伝える映画ではありませんが、確かに9・11後の世界を描いた作品だった。この映画も間違いなく同じ種類でしょう。
米国の問題、ある種の扇動映画にならないかと懸念されていることについて
それは表面的なことで大切なのはその奥底で何が起きているかということ。
米国でヘルスケアや格差問題は確かにありますが、観客は世界中にいるのでそれだを訴えたくて作りません。
確かなのは「革命を起こせ」と言いたいのではない。だから人々には革命を起こす理由を考えてほしい。
世界中で思いやりが欠如していることを考えてほしい。
続編は?
ホアキン・フェニックスとならやれると思う。ワーナーが作ってくれと言ったら作る。
もちろん僕とホアキンじゃない人が作っても構わない。
コミックスはある意味シェイクスピアだと思う。
『ハムレット』『マクベス』に色んな作品があるようにジョーカーも多くの作品が作られてきた。
だからまるで違う作品になってもいいと思う。
もっとあるアメリカン・ニューシネマ
ある種アウトローを求めた時代
『イージー・ライダー』(69/監督:デニス・ホッパー)
『明日に向って撃て!』(69/監督:ジョージ・ロイ・ヒル)
『真夜中のカーボーイ』(69/監督:ジョン・シュレシンジャー)
『フレンチ・コネクション』(71/監督:ウィリアム・フリードキン)
『ダーティハリー』(71/監督:ドン・シーゲル)
『時計じかけのオレンジ』(71/監督:スタンリー・キューブリック)
『スケアクロウ』(73/監督:ジェリー・シャッツバーグ)
その他、ジョーカー関連の映画
ジョーカー アンソロジー(1940)
バットマン オリジナル・ムービー(1966年製作の映画)
『バットマン』(89/監督:ティム・バートン)
『バットマン リターンズ』(92/監督:ティム・バートン)
『ダークナイト』(08/監督:クリストファー・ノーラン)
『ダークナイト ライジング』(12/監督:クリストファー・ノーラン)
『スーサイド・スクワッド』(16/監督:デヴィット・エアー)
まとめ 映画『ジョーカー』一言で言うと!
歴史の間には必ず救世主が登場する
世界が混沌としている今だからこそ、この映画がわたしたちに問う意味が大きいと思います。問いに答えるには慎重に行動することが大事です。世界の富はわずか数パーセントの人が握っているのは皆が知っています。血液もそうですが、流れが悪くなると必ず破裂します。世界の人々の不平・不満が爆発する際は必ずカリスマ性を持った救世主が現れます。わたしたちは無意識にその救世主の出現を待っているのかもしれません。だからこの映画がヒットしているのです。
合わせて観たい映画
【毒親が登場する映画】
映画『存在のない子供たち』
これがレバノンの現状なのだろうか。出生証明書もない子供たち

映画『ガラスの城の約束』
両親揃って社会から逸脱していて働きません。父親はアル中でDV野郎です。

映画『荒野にて』
父親は働いていますが、子どもの教育に無関心です。

『ホイットニー ~オールウエイズ・ラブ・ユー〜』
娘が薬物に溺れているのを救えませんでした。

映画『赤い雪 Red Snow』
我が子を押入れに押し込めて男との情事を楽しみます。

映画『J・エドガー』
息子が可愛くて仕方ありません。徹底的な教育を施します。

映画『ある少年の告白』
宗教的な観念で息子の自由を束縛します。

映画『タロウのバカ』
現代ニッポンにバカと叫ぶ!

【子ども可愛がり映画】
映画『リアム16歳、はじめての学校』
気持ち悪いくらいに息子に干渉します。息子と恋人気分です。

『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』
こちらは母親依存です。

映画『パパは奮闘中』
蒸発した妻の代わりに子育てします。

【ある意味、毒親である気がする映画】
映画『ビューティフル・ボーイ』
薬物依存になった息子を助けるために奮闘しますが、それが重荷になります。

映画『ベン・イズ・バック』
薬物施設を無断で出てきた息子を可愛がります。

映画『ジョーカー』の作品情報
スタッフ・キャスト
監督
トッド・フィリップス
製作
トッド・フィリップス ブラッドリー・クーパー エマ・ティリンガー・コスコフ
製作総指揮
マイケル・E・ウスラン ウォルター・ハマダ アーロン・L・ギルバート ジョセフ・ガーナー リチャード・バラッタ ブルース・バーマン
脚本
トッド・フィリップス スコット・シルバー
撮影
ローレンス・シャー
美術
マーク・フリードバーグ
編集
ジェフ・グロス
衣装
マーク・ブリッジス
音楽
ヒドゥル・グドナドッティル
音楽監修
ランドール・ポスター ジョージ・ドレイコリアス
アーサー・フレック/ジョーカー(ホアキン・フェニックス)
マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)
ソフィー・デュモンド(ザジー・ビーツ)
ペニー・フレック(フランセス・コンロイ)
ギャリティ刑事(ビル・キャンプ)
バーク刑事(シェー・ウィガム)
トーマス・ウェイン(ブレット・カレン)
ランダル(グレン・フレシュラー)
ゲイリー(リー・ギル)
アルフレッド・ペニーワース(ダグラス・ホッジ)
ブルース・ウェイン(ダンテ・ペレイラ=オルソン)
マーク・マロン
ジョシュ・パイス
シャロン・ワシントン
ブライアン・タイリー・ヘンリー
2019年製作/122分/R15+/アメリカ
原題:Joker
配給:ワーナー・ブラザース映画