映画『荒野のストレンジャー』あらすじ、ネタバレ。クリント・イーストウッド最初の西部劇映画は謎解き満載

映画

『荒野のストレンジャー』

原題 『High Plains Drifter』(105分/米/1973年)

 

イーストウッド監督第二弾作品。西部劇の定石である復讐劇に一味も二味も新たなエッセンスを加味している名作である

 イーストウッドにとって監督第二弾の作品である。最初の西部劇映画だ。この映画でイーストウッドはあまり台詞がないように感じる。それがとても良い。まず冒頭がすごい。荒野の遥か向こうに陽炎が立ち込めている。その陽炎の中から馬に乗ったイーストウッドが現れる。姿勢が良い亡霊のようだ。同時に何か起きそうな少し不安気なメロディー(笛ぶえの音)が聴こえてくる。荒野を越え山を越え砂漠を渡っていくと、湖がある街に着く。街は保守的で外部の人間を好まない雰囲気を漂わせている。突然訪れたよそ者をジロジロと見る。

 イーストはそこでただバーに入って休みたいだけだ。よせば良いのにイーストウッドにちょっかいを出してあっという間に三人殺されてしまう。そこからイーストウッドがこの街の抱える問題に巻き込まれていく。街は金鉱を持っている。一年前、その金鉱の権利が国にあると判明した。もしそれを公にすれば国有地となり街の収益が減ってしまう。死活問題だ。街の保安官は正直者で、公にすることを進言したばかりに殺されてしまう。街は辛うじて権利を保ったが、殺しを依頼した相手が悪かった。ならず者のたかり屋だった。次作はこのならず者の始末だが、殺すことは出来ずに牢屋にぶち込む。一年後ならず者が刑期を終えて街へ復讐に来る。その退治をクリント・イーストウッド演じるガンマンに頼むと言う話だ。でも無理がある、と言うか辻褄が合わない。イーストウッドには殺す理由がないのだ。一見、そのならず者が悪人のように感じるが一番の悪党は街の住民だ。自分たちは手を汚さず人を殺す。善人ぶっている。よく言うではないか。悪い奴ほど良く眠るつまり虫を殺さぬ顔をしている人間ほど残酷なのだ。この映画でイーストウッドは黒澤明監督の影響を受けているのがわかる。『七人の侍』だ。弱い者は善人だ、と言うのが幻想だと気づかせる場面があるのだ。映画の中で農民は弱く情けない風情を出しているが、菊千代が暴露する。「百姓ほど汚くて卑しくて卑怯者はいない、こんな顔して何してるかわからない」と言って百姓が侍を殺して奪った刀や槍、甲冑を投げつける場面だ。本作でも街の住民の上部の善人面を叩いている。

 さて、本作は冒頭で書いたようにイーストウッドにとって監督2作目で西部劇では一作目にあたる。以後、『許されざる者』まで続く。イーストウッドの作品の中では彼は時折、コテンパンに、いわゆる半殺しに合うシーンがあるが本作にはない。2本目の監督作品だからか、いやレオーネ3作品『荒野の用心棒『夕陽のガンマン』続・夕陽のガンマン』でコテンパンにやられたから自身の監督作品はカッコよく演じたいと思ったのだろうか?いや違うだろう。本作ではやられる必要がないのだ。本作のイーストウッドに名前はない。原題は『High Plains Drifter』、ドリフターは漂流者。邦題はストレンジャー、つまり見知らぬ者だ。ただ通りかかっただけ。ストレンジャーに罪はないから半殺しにする必要がないのだ。またこの映画ではここ見知らぬ者に対する恐怖心も描いている。街に住民たちは共有する秘密を持っている。保安官殺しだ。それを守ることで結束している。故に現れた見知らぬ者に警戒し恐怖するのだ。そして肚の中では秘密がバレたらまた殺せば良いと考えている。罪を重ねれば結束も固くなると信じているが、やがて崩壊する。

 イーストウッドはすぐに人を殺す冷酷者だがインディオや身体的障害を持っている人には優しい一面を見せる。またイーストウッドに過去にトラウマがあるかのようなフラッシュバック的な演出があるが、実際は街に住民たちのトラウマを上手く表現しているのが素晴らしい。このフラッシュバックが何を意味するのか考えるのも面白い。そう見ても鞭打たれているのはイーストウッドに見える。でも違う。前保安官のダンカンだ。ひょっとしたらイーストウッドはダンカンの亡霊なのか?等と考えてしまう。エンディングにイーストウッドに名前を尋ねるシーンで「すでに知っているだろ」と答えている。その後、名無しの保安官の墓標に名前が入っている。これは謎解きのヒントになる。

 さて、この映画の中のイーストウッドは本当に無敵だ。無敵どころか言い方を変えれば無法者であって極悪非道人だ。中でも女性を手篭めにする場面はちょっとキツイ。劇中にこんなセリフがある。「彼らはあなたを怖がっているのよ」と言われ「怖がるには理由があるんだ」これがすべてのような気がする。

 人を殺しているから、それが露呈したくないのだ。保身だ。保身は醜い。悪事の堂々巡りが始まるからだ。人殺しを積み重ねたイーストウッドも同様で、本来なら罪の意識に苦しむところだが、この映画には全くそれがない。それもストレンジャーたる恐ろしき存在なのだろう。

 この映画は一度、罪を犯すともう後戻りはできない苦しみについて訴求してくる。もし罪を犯すのであれば強靭な精神力も必要であることも訴求している。もちろん後者はストレンジャーのことだ。

 善人の背中は嘘つきと書いてある。一度、嘘つきになった善人はタチの悪い悪党だ。そんなことを教えてくれる映画である。