クリント・イーストウッド最高作品『許されざる者』こそアメリカ社会の写し絵だ。評価、ネタバレ、感想

映画
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http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=24136

『許されざる者』(131分/米/1992)

原題:Unforgiven

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アメリカ映画史に燦然と輝く名作である。しかしこの映画に出てくる人間は全て悪党である。なぜイーストウッドはそんな設定にしたのか訓み解くと更に面白くなる。

暴力に暴力を重ねても丸く収まらないことは知っている。人間の復讐心に一度、炎が点くと消すことは難しい。

 クリント・イーストウッド監督作品の中で私が最も好きな映画である。この作品でイーストウッドはアカデミー作品賞と監督賞を獲得した。最初にメガホンを取った『恐怖のメロディ』(71)から20年余りで、17本目での悲願だった。この作品は一見、西部劇にありがちな悪党退治の物語かと思われるが、実際は違うと思う。この映画に出てくる人物たちに良い人はいない。全員が悪党と言えるのだ。

 まず事件の発端となったカウボーイは娼婦の顔を切り刻むという酷い人間だ。娼婦たちはそのカウボーイたちに賞金をかけて殺しを依頼する。復讐したい気持ちはわかるが、人殺しに対して安易だ。ジーン・ハックマン演じる保安官は街の平和を守ると息巻くが、要は自分が収める街を支配するために残忍な暴力を持って統治している。いわば独裁者だ。

 そしてクリント・イーストウッド演じるマニーとモーガン・フリーマン演じるネッドも元殺し屋で金のために殺しをする。娼婦の仇と大義を切っているように見えるが、所詮そんなのは稼ぐための言い訳でしかない。言ってみれば救いのない映画なのである。でも私はこの映画がなのだ。この映画に出てくる人物で無理矢理にでも良い人を探すならネッドのインディアンの妻とマニーの幼子二人ぐらいだ。

殺しが生業として認められた狂気の時代。でも今現在も戦争で稼いでる国もあるのを忘れてはいけない。

 映画の舞台は1881年のワイオミング州に遡る。同時期『OK牧場の決闘』のワイアット・ワープがアリゾナでひと暴れしている。西部劇のネタとなる物語が一番多く描かれた時代だろう。かつて殺し屋であったマニーは10年前に引退し、農夫となり幼子を育てているが生活は困窮している。最愛の妻は3年前に死んでいる。そんな時、キッドと名乗る若者のガンマンが訪れ一緒に“仕事”をしようと提案する。仕事とは殺しだ。殺しで生業が成り立つ狂気に時代だ。しかしマニーは一度は断る。が、子供達にちゃんとした生活をさせたいと奮起し殺しをやることにする。かつての相棒のネッドを誘いキッドを追いかける。

 街に着いて娼婦の酒場へ行く。そこで保安官に痛めつけられる。瀕死の重傷を負いながらも回復し、最初の一人を殺す。二人目も難なく殺す。殺すことに迷いは全くない。賞金を受け取り帰ろうとするが、ネッドが殺され吊るされていた。

友の復讎にはお金はいらない。とにかく殺しまくることだ。金のため、商売としての殺しだったのではないか、、、

 ここからマニーの憎悪が一気に加速していく。かつて極悪非道、残酷さで世間を震撼させた本性が現れる。友を殺されたという大義でどんどん人を殺していく。手加減などない。保安官を殺した後のセリフがこの映画の全てを表している。「今から外へ出る。撃つんじゃないぞ。もし撃ったら殺すからな。そいつの妻も友人も撃ち殺すからな」と酒場の中から大声で怒鳴りつける。更に「ネッドの遺体を埋葬しろ。娼婦たちを人間らしく扱え。ちゃんと守らないと戻ってきて、貴様たちを殺して町に火を点けて焼き払うぞ!」

 この時のイーストウッドがとにかくカッコいいのだ。忘れてはならない、ここでクリント・イーストウッド演じるマニーが一番の悪党だとわかる。でもカッコよく見えてしまう。これは何だろうか。アメリカなんだ。アメリカって国の全てを表していると思う。正義も悪もない、やったもん勝ち、つまり勝てば官軍なのだ。でもこの映画が公開された時期に注目して欲しい。

 1992年だ。その2年前に湾岸戦争があった。アメリカが多国籍軍を指揮してイラクへ行った。一方的に勝った。似ていないだろうか?クウェートに軍事侵攻したイラクを叩きのめし、中東におけるアメリカの利権を確保したのだ。アメリカは正義のためと言っていたけれど、その後の歴史を見るとやりすぎであった感がある。

クリント・イーストウッドの映画に込める思いが全て詰まっている。流石としか言いようがない。何回観ても発見がある作品だ。

 私の見解ではクリント・イーストウッドはこの映画で自らの国であるアメリカ合衆国に警鐘を鳴らしている気がしたのだ。正義を振りかざすための大義という言い訳を見つけて、世界中の人々にアメリカの偉大さをアピールし恐怖心を植え付けることで支配していくという構図はもうこれから通用しないよ、と言っていたのではないだろうか。以上のことを考慮するとクリント・イーストウッドの映画作りでの哲学、思想、願望が込めれている作品と言える。