クイーン伝説『ボヘミアン・ラプソディ』フレディーの世界を変えた変えた生き様を観よ

2018公開
http://www.foxmovies-jp.com/bohemianrhapsody/
 
『ボヘミアン・ラプソディ』(135分/米/2018)
原題 『Bohemian Rhapsody』

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これほど強く太い生きざまを持った人間は後にも先にもいない。偉大なるフレディーよ永遠なれ!

全身を熱い血潮が駆け巡り、勇気と力が湧いてきた

この映画を観終わってからすでに3時間経つが、未だ体中を熱い物が駆け抜けている。安易な表現になるがとても感動してしまったのだ。何が?と問われるとこれも安易だが「すべて」としか言うしかない。圧倒的なエネルギーを放っていたその人物はフレディー・マーキュリーだ。ご存知の通り彼はもうこの世にいない。しかしそれは人体としていないだけで、存在としては確実にいるのだ。同時代を生きた私の記憶にもいるし、この映画で初めて彼を知った若い世代の脳裏にも確実に存在し続けるだろう。この映画の中でフレディーは終始格闘していた。根底には差別、偏見、嘲笑、侮蔑、悪意への抵抗もあったが、それを越えたモノと戦っていた。フレディーにとっては差別とかはどうでも良い事象のようにさえ思えた。映画の冒頭ではフレディーの出自について描かれている。ペルシャ系をルーツにインドからイギリスに移住し、その地ではパキ(パキスタン人)となじられ馬鹿にされている。しかし差別へフレディーは抗わない。そこにテーマを置いてないのがこの映画の良いところでもある。

フレディーは音楽に自分探しをしていない。自分という存在は深淵なる愛に求めた。

自分という存在、何を求めて生きているのか、どこへ行こうとしているのか、そしてなぜ死ぬのか。誰もが人生の意味を見出す時に問い続ける疑問だ。ふれしーも自問していたのだろうか?何と戦っていたのだろうか?フレディーはずっと孤独だった。孤独と戦っていたのだと思う。富も名誉も地位もつかんだがいつも心は虚しかった。虚無な心を埋める作業ほど重いものはない。最愛のメアリーとも疎遠になり、酒、ドラッグに溺れて怠惰な生活を送る。でもメアリーといても孤独を感じていたのだろう。何が欲しかったのか。フレディーは愛が欲しかったのだと思う。真の愛とは何かを求めていたと思う。もちろん最初の恋人で妻となるメアリーとは真実の愛を交わしただろう。しかしそれとは別に自己の同性への愛について悩む。セクシャリティーだ。当時はまだ同性愛については理解がなかった。自己の中に燻るセクシャリティーは止められない。その情熱が暴走していくが、真実の愛は見つからないままだ。おまけにエイズという病気が世界中を恐怖の渦に叩き落していた。

真実の愛のもとでフレディーは旅立った。それが彼の至上の喜びであったのだろう。

フレディーはまるで死を目指すかのように自暴自棄になり、心身を追い込んでいく。観ているだけで恐怖を感じる。当のフレディーも自分が危険を冒していると認識していると思う。でも止められない。それはきっと孤独で止めると襲い掛かる虚無が恐ろしいからではないだろうか。フレディーはまるでガソリンのない車のアクセルを全力で踏み込んでいるかの精神状態だったのではないか。
何もかもに疲れ果てて倒れこみ、そしてもう一度立ち上がった時にフレディーは本当の愛を見つけることができた。これがどん底の時に見つけた愛なら違った形になっていただろう。フレディーが自分で立ち上がり見つけた愛だからこそ救われたのだ。その愛は死ぬまで孤独にも虚無感にも包まれることなく幸せな情熱であったに違いない。そして恋人の腕の中で亡くなる。
フレディーは懸命に生きた。いやまだ生きている。