この時代にクリント・イーストウッドと生きる機会を与えられた私は何て幸運なのだろう
イーストウッドは最早、映画製作者だけではない。映画を通して現代世界で生きる人間の在り方を説いている。
いやこれだけの説明だと陳腐すぎる。イーストウッドの深い思想は人間はなぜ産まれて、なぜ生きて、なぜ死ぬのかについて訴え続けている。
いや、これだけでも陳腐すぎる。何かもっとわかりやすい言葉はないかと探すのだが、語彙力が少ないので浮かんでこないのが情けない。
だから映画を観るのだ。
言葉にできないが、強烈なメッセージが絶えず発せられているのだ。
今、イーストウッドの新作『運び屋』が公開された。
この映画を観るためにイーストウッドの全作品を観ている。もう何十年前に製作されて作品の数々から新たな発見を次々としている。
どれもが現代世界にも、そして私自身の生き方にも重なる。人間とは何と愚かな生き物であるのか、いや何て素敵な生き物であるかも教えてくれる。
今一度、『クリント・イーストウッド』を観てみたい。
クリント・イーストウッドが映画なのである。