クリント・イーストウッドが新しいことに挑戦した『15時17分、パリ行き』素人俳優を使いリアリティーを引き出した。ネタバレ、感想、評価、結末

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映画『15時17分、パリ行き』オフィシャルサイト
映画『15時17分、パリ行き』オフィシャルサイト。『アメリカン・スナイパー』クリント・イーストウッド監督テロリズムの真実を描く“実話”。

『15時17分、パリ行き』(94分/米/18年)

原題 『The 15:17 to Paris

「この映画はごく普通の人々に捧げた物語である」とクリント・イーストウッドは言っている。この映画の撮り方が異色と言うが、彼にとって映画製作自体が普通のことなのだろう。

実際のテロ事件に当人たちが出演することで反テロリズムを蜂起した

 この映画はクリント・イーストウッドにとって、異色な作品であると言える。最大の理由はここに登場する3人の若者は全て素人である。俳優ではないのだ。言い方は悪いがズブの素人を用いてこの映画を撮ったのだ。しかもテロという重たいテーマを背負った作品に出演させたのだ。しかも実際に列車の中で怪我をした本人も実際に登場している。そればかりではない。この列車に乗っていた人たちを出来る限り集めて撮影したというから最早それ自体が驚きである。テロリストは流石に本物ではない。

 クリント・イーストウッドは当初は俳優を使って撮影するつもりだったそうだ。でも実際にこの3人の若者と会って取材をしたら、このまま3人で撮った方が良いのではないかと言う思いが強くなったそうだ。(噂では3人に取材した内容を再び俳優に伝えるのが面倒臭いからそのままやってもらおうと思ったそうだ。これはどこまで本当かわからない)

早撮りで有名なイーストウッドは素人俳優とやるのは不安ではないのだろうか。いやいや、もうイーストウッドはその領域を超えているだろう。神なのです。映画の神様です。やりたいことをやり抜くだけです。

最早、演出という言葉さえイーストウッドには陳腐かもしれない

 撮影におけるエピソードも多々と流れています。素人に演技指導はどうしたのだろうか、NG続出したら予算超過にもなるし、公開が遅れて損失も出す。もちろんそれも考慮していただろう。だからイーストウッドは3人の若者に演技という演技ではなく、現場で「ここではどうな感じだった?」とか「どんな話をした?」等と聞きながら撮影していったそうだ。若者たちは記憶を辿りそれを再現するだけだ。これだったらプレッシャーもないだろうし、早く撮影が可能だ。さすがだ。だから脚本という脚本生かされたのかわからない。ちなみに脚本はドロシー・ブライスカルが担当とクレジットしてある。そういった意味でこれはイーストウッドにとっても、映画史にとっても異色の作品なのではないだろうか。いや、イーストウッドにとってどうでもいい事かもしれない。

誰にでも悩みがある。この若者たちもごくありふれた青年だ。でもある日、ヒーローになった

 さて映画の話をしよう。この3人は小さい頃からの幼馴染で大親友だ。しかも3人はいじめられっ子の部類に入る。ADHDを持っていたり、片親であったり、黒人であったりと悩みを抱えている。しかしながら彼らは挫折を味わいながらも普通に成長していく。実際3人は普通のアメリカの青年と言える。ゲームに夢中になったり、クラブへ行けば酒を飲み踊りまくる。旅行へ行けばSNSへ写真を投稿したり、女の子をナンパしたりする。でもこの普通な青年が後々生きてくるのだ。つまりは人は何か危険な事件に遭遇した時に自分の命を顧みず人のために行動できるかどうかってことだ。大抵の人は銃を持ったテロリスト前では勇気を失い何もできないだろう。でも彼らは違った。もちろん軍隊で特訓した経験もあって、それが活かされたのも事実だ(アメコミのヒーローの多くは普通の人が突然正義のヒーローになったりするのが多いから、この3人はそれを現実にしたようなものだ)

「運命に押されてる気がする」彼らの中で神が降りてきたのだろう

 映画の中で何のために生きてるのか会話しているところがある。「運命に押されてる気がする」とても印象的な言葉だ。神の導きを感じたのだろう。これから起こる何かに向かって、それに直面した時に自分が生まれてきた意味があると予見しているようだ。

下世話だが、彼らのこの事件以降の人生はどうなった気になる。世界的に知られた存在だし英雄にもなった。おまけに映画にも出演した。人生が狂ってしまっても不思議ではない。間違っても俳優になっていなければ良いが。

普通の人々こそ真の勇者であるのだ

 イーストウッドはこんな言葉を述べている。「普通の人々に捧げる」これが全てなのではないだろうか。要約すると今世界は起きるか予測ができないほど混迷している。デジタルを用いたテクノロジーの進歩は止まらない。同時にその進歩を上回るかのごとく、人間の知性や教養や倫理は希薄になっていくように見える。

 目の前には真っ黒で怒り狂う濁流がある。どうやって渡るのか?いや渡らなくても生きていける。行くか行かないかは自由だ。行く者はなぜ渡るのか?知りたいのだ。それは勇気を持って渡ることで生きている意味がわかるかもしれないからだ。それが人の役に立つのであれば最上の幸せだ。人間は動物を違って人に認められることに喜びを感じる生き物と言われる。感謝されることに生きがいを得る生き物だ。

 イーストウッドが素人を使ってまで撮ったこの映画も、彼自身が映画界において率先して濁流を渡って見せたような気がする。「お前たち、まだまだ青いなあ」と言う声が聞こえてきた。

*クリント・イーストウッドの実話シリーズは続く

『インビクタス/負けざる者たち』『J・エドガー 』『ジャージー・ボーイズ』『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡

そして2019年最新作『運び屋』へと続く。