『十二人の死にたい子どもたち』(118分/日/2019)
堤監督が映画界で重宝される理由がわかる。コストパフォーマンスが高い。堤組の結束がわかる
映画は娯楽であることを知り尽くした映画
お見事!と手を叩いてしまうほど面白い映画だった。と言うのは堤監督と脚本家の倉持氏を筆頭に撮影監督等のスタッフ全員が素晴らしい仕事をしていると感じたのだ。映画は娯楽である。お客さんを喜ばせてナンボである。そしてビジネスであるから興行収入を上げなければいけない。作家性とか芸術性ももちろんだけど、やっぱり売上を伸ばした人の勝ちである。堤監督が重宝される理由がここにある。この映画を観て感じたのはそのコストパフォーマンスの高さである。製作費は公表されていないが、邦画の場合、製作費の10倍稼げば大ヒットと言われている。現在2月4日であるが5億円を超えて20億円を視野に入れていると言う。もし20億円超えとなれば、仮に製作費が2億円なら大ヒットだ。多分そんなにかかっていないと思う。まず、セットだ。これは群馬県にある廃墟の病院を使っている。劇中にその他のロケーションは見当たらない。ほとんどがこの病院と大きな会議室のみで完結している。ロケーションが多ければ多いほど費用がかさむが、映画に抑揚が出ると言うメリットがある。ロケーションが少ないと飽きると言うデメリットが生まれる。それをカバーするにはやはり面白い脚本と演出になる。そして堤監督は今回、若手の俳優を使っているのが新鮮味を与えることに成功している。これも製作費削減に大きく貢献している。実に計算高い作戦だ。
若手キャスト(俳優)にとって堤作品は大きなチャンスだ。懸命なのが伝わってくる
若手俳優は堤監督作品に出られると言う喜びから一生懸命にやるだろう。それが更なる相乗効果を生み出している。この映画の俳優で私が知っているのは橋本環奈くらいで、あとはほとんど知らない。大変失礼であるが無名に近いのだ。ギャラも安いだろう。でも本作の実績を生かして次作にギャラのアップにもなるから彼らのとっても一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなる。おそらくではあるが、堤監督はスタッフをとても大切にしていると思う。製作費の多くをスタッフに払い覇気を与え、堤組の結束を新たにしたのではないだろうか。映画界の人材も育つ。そういった意味でもお見事なのである
映画のタイトルに嫌悪感を持つのは間違い、これはポジティブな映画だ
さて、映画の話をしよう。正直、私はこういうタイトルの映画は嫌いである。予告を観ていても嫌な気持ちになった。勿論、死を幇助するような映画ではないとわかってはいるが、これだけ「死にたい、死にたい」を連発されると気が滅入ってくるのだ。特にまだ10代半ばの夢も希望もある若者が死を考えることに嫌悪感を覚えるのだ。映画が始まってからしばらく胸糞が悪かった(これも堤監督の作戦とわかっているが)ずっと若者が真顔で死ぬことを正当化している。しかも予定外の出来事も起きる。本来ならいないであろう十三人目の人物の存在だ。その人物の死の謎解きを行いながら死にたい理由を語っていくと言う演出が秀逸だ。
死にたい理由は様々だが、他人から見たら些細なことだ
鬱の父親が自殺した、不治の病で余命数年、性病をうつされた、好きな彼が死んだ、兄を植物人間にした、学校でいじめにあった、叔母の保険金のため、父の価値を高めるため、作られたアイドルに疲れた、生まれてきたことへの抗議等々。最初は兎にも角にも早く自殺させてくれと主張するが、でもその理由は本人たちにとっては深刻な悩みであっても他人からはとても些細な悩みであることに気がついていく。
堤ワールドの綿密なトリックに嵌まろう!
物語は終始淡々と進んで行く。演じる役者たちは笑ったりしない。一切笑わない。でも終盤に近づくに連れて、こちらの気持ちが軽くなってくるのに気がつく。あれだけ胸糞が悪かったのにスッキリした気分になっていくのだ。
本当に観る前はどうなるかと思った。でもこの映画を観て良かった。ネタバレにならないように書くが、まずこの映画は死を幇助するものでもないし、助長するものでもない。希望を与えてくれる映画だと感じた。しかもこの映画はお説教臭くないのが良い。よく自殺はダメだと力を込めて熱心に語る人がいるが、私はああ言う人は苦手で、この映画にはそういったお説教がないのが良い。
堤ワールドのトリックに気持ち良く嵌った。
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