『英国総督 最後の家』(106/英/2017)
原題 『Viceroy’s House』
かつてヨーロッパの国々はインドを目指した。一度、インドを手にしたら手放すことは国力が衰える。何としてもインドを死守しなければいけない理由がある。
祝福されるべき国家の誕生の影に見える大国の狡猾な政策
かつて世界7つの海を制覇していた大英帝国。栄枯盛衰とは古今東西当てはまるものだ。あれだけ巨大な権威を誇っていた大英帝国も第二次世界大戦後、国力は一気に疲弊していった。そしてアジアで最も重要だった植民地であるインドを手放すことになる。インドにとっては解放であり、悲願の独立であったのは言うまでもない。しかし産みの苦しみは新たな苦痛が伴う。嵐の如く、火種が降りかかる。ヒンドゥー教とイスラム教の争いの始まったのだ。宗主国イギリスからその争いを収めるように命じられたのはマウントバッテン卿であった。彼は遥々イギリスから家族共々インドへ新総督として赴任する。当初は両宗教の争いを収めることは簡単だと考えていた。しかしそれは非常に困難だと気付き奔走することとなる。
イギリスはインドを分離する予定はなかったが、終わりのないヒンドゥー教とイスラム教の争いを収める手段として分離へと舵を切る。分離すればヒンドゥー教のインドとイスラム教のパキスタンが誕生する。両宗教にとっては一見祝福されるべき独立だが、ことはそんなに甘くない。ガンジーが言う。「心臓を二つに切ったら戻らない」その通りだ。実際、インドが分離すると正式に発表されると国中で混乱が起きる。それまで仲良く暮らしていた人々が「これはイスラム、これはヒンドゥー教」と出来るだけ多く取ろうと主張し始める。今でもインドとパキスタンは争っているのは、おそらくこの分離の発表があった瞬間からだから、永遠にこの争いは続くと思われる。もう悲劇だ。
宗主国のしたたかな政策に翻弄されるインドとパキスタン
でもイギリスが統治していた300年間、あるいはそれ以前は両者は争っていたのだろうか。いや決してそうではない。劇中「イギリス人がヒンドゥー教とイスラム教の争いを巧に操って統治してきた」とセリフがあった。当たっていると思う。植民地支配のプロフェッショナルだから人心掌握術に長けている。しかしもう限界が来たのだろう、、、、。イギリスは大きな心を持ってインドを手放す決意を固めたのだ、、、と一瞬納得してしまう。
いや違った。イギリスの政策はもっとしたたかだった。最初からイギリスは分離する設計図を持っていた。チャーチルがすでに描いていたのだ。それはインドとパキスタンを新しい形で支配する方法でだったのだ。第二次世界大戦後、世界は西側と東側の対立構造が生まれてくる。その前に西側世界はアジアでも覇権をとっておかなければならない。対ソ連と対中国対策にだ。だからインドという巨大な国で内戦が起きたら収集がつかない。未曾有の殺戮と戦費がかかる。その前に分離しておく方が良いと考えた。一見、平和的な分離をしておけばインドにもパキスタンにも恩を着せることができるからだ。
インドとパキスタン誕生の舞台で燃え盛る恋の炎
さて、この映画のもう一つの要はヒンドゥー教とイスラム教の禁じられた恋愛だ。ロミオとジュリエット以上に障壁がある。貧富とか人種の問題より難しいのが宗教問題だ。しかし若い二人は障害があればあるほど恋の炎が燃え上がらせる。若さとは美しい。恋する情熱は無敵だ。インド独立、分離の最中でこの二人は賢明に愛し合う。その姿がいつか来るであろう、ヒンドゥー教とイスラム教の分かり合える日の到来を期待してしまう。
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